Share

第二十八話 銀蓮の三枚目

last update publish date: 2026-09-05 09:55:08

 銀蓮の簪は、私の手の中で冷たかった。

 何度も見た簪だ。

 明霞姉様が私に残してくれたもの。

 最初の紙は、皇后様の薬湯と玉蘭妃様の偽りを示した。

 二枚目の絹紙は、白家、梁氏、沈烈へ毒の道が伸びていることを示した。

 そして今、母は言った。

 三枚目がある、と。

 私は簪を見つめたまま、息をすることさえ忘れそうになっていた。

 洗衣局には、湯気が漂っている。

 母は老医官の手当てを受け、浅く眠っている。

 蘭々は私の隣で、釜の蓋を抱えたまま簪を覗き込んでいた。

「……これ、まだ何か入るの?」

「分からない」

「もう結構ぎゅうぎゅうじゃない? 簪ってそんな収納力ある?」<
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十八話 医者の手も、白くはない

    老医官様は、逃げなかった。 逃げるような人ではない。 それは分かっていた。 分かっていたけれど、だからこそ胸が痛かった。 医療房の中央に、白木の机が置かれた。 いつもは薬草を広げる机だ。 苦い薬湯を調合し、傷を洗う布を畳み、熱を測るための水盆を置く机。 そこに今日は、証拠が並んだ。 薬箱。 薬包。 名捨て香が混じっていた包み。 使われた可能性のある空の包み。 香抜き湯の記録。 誰が、いつ、誰に、どの薬湯を渡したか。 医療房の帳。 そして、老医官様の手。 老医官様は、自分から手を机の上に置いた。 皺のある手だった。 薬草で染まった指。 何度も人の脈を取ってきた指。 血を止め、毒を見分け、傷を縫い、子供たちの熱を測ってきた手。 その手が、今日は疑われるために置かれている。「記録を始めてください」 老医官様が言った。 声はいつも通りだった。 静かで、怖い。 けれど、私は気づいた。 指先が、ほんの少し震えている。 老医官様も、人間だ。 当たり前なのに、私は今さらそれを思った。「老医官様」 蘭々が、長椅子から身を乗り出した。 膝の包帯がずれかけ、すぐ薬童に直される。「そんな、犯人みたいにしなくても」「蘭々」 老医官様は彼女を見た。「白家の罠は、信じている人を調べない時に開きます」「でも」

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十七話 最初の証人は、姉でした

    明霞姉様の簪から出てきた紙は、薄かった。 薄いのに重かった。 銀蓮の花弁の奥に、ずっと隠されていた言葉。『私を許さないまま、私の名を使ってください。 還名裁議の最初の証人に、私を置きなさい。 皇后様より先に。 白家より先に。 あなたを愛して使った私を、最初に裁きなさい。』 私はその紙を、何度も読んだ。 何度読んでも、最後の一行で胸が詰まる。 あなたを愛して使った私。 明霞姉様は、いつもそうだった。 優しい言葉の裏に刃を隠す人だった。 私に粥を食べさせながら、私を証人へ育てた人だった。 頭を撫でながら、逃げ道を計算していた人だった。 助けた。 使った。 愛した。 利用した。 全部同じ手でやった。 だから嫌いになれない。 だから許せない。「鈴花」 蘭々が、私の顔を覗き込んだ。 膝に包帯を巻いたまま、長椅子から半分身を乗り出している。「息してる?」「しています」「ちょっと止まってた」「止まっていません」「嘘。鈴花、嫌なもの読む時、息浅くなる」「よく見ていますね」「友達だから」 蘭々は当然のように言った。 その当然が、今は痛いほどありがたい。 白家は信頼を罠にした。 だから、誰かを信じるたびに少し怖くなる。 それでも蘭々は、友達だから、と言う。 疑われても、また戻ると約束した人の声だった。

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十六話 一つにしないでください

     青羅への返事は、すぐには書けなかった。 筆を持った梨花の手が止まる。 白瑛も、墨を磨る手を止めている。 蘭々は飴の袋を握ったまま、何度も口を開きかけて、結局閉じた。 月琴は包帯を巻いた指を膝に置き、苛立ったように爪先を揺らしている。 黒豆は、寝台の上でまだ眠っていた。 時々、小さく「炭じゃない」と寝言を言う。 そのたびに蘭々が「そうだよ」と返す。 寝ている子供に返事をする蘭々は、たぶん白家が一番嫌う種類の人間だ。 私は青羅の紙を膝の上に置いた。『白家の子は、何になればいいのですか。 罪人ですか。 被害者ですか。 証人ですか。 子供ですか。 人間ですか。 どれか一つにしてください。』 どれか一つ。 白家らしい言葉だ。 役目を一つにする。 名を一つにする。 迷いを削る。 痛みも、好きも、怖さも、全部削って、動きやすい形にする。 帳守。 香係。 炭。 鍵。 目。 耳。 手。 人間ではなく、役目にする。「一つにしたら」 蘭々がぽつりと言った。「楽なのかな」 誰も笑わなかった。 それは、軽い言葉ではなかった。 蘭々は自分の膝を見ている。 炭庫で打った膝。 包帯が巻かれている。「私、洗衣局代表って言われると、ちょっと楽な時あるんだよね。ただの蘭々だと怖

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十五話 信じている人ほど、怖い

    信頼を最後の封にした。 青羅の紙に書かれていたその一文は、薄い刃のようだった。 刺さっているのに、どこから血が出ているのか分からない。 蘭々なのか。 白瑛なのか。 景黎様なのか。 老医官様なのか。 皇帝陛下なのか。 母なのか。 あるいは、私自身なのか。 白家は、人を疑わせるのがうまい。 それも、ただの疑いではない。 疑うと罪悪感が生まれる相手を、わざと疑わせる。 信じたい人を疑わせる。 疑った瞬間、自分が少し汚れたような気持ちになる。 その汚れが嫌で、目を逸らす。 すると罠が動く。 嫌な仕組みだ。 実に白家らしい。「鈴花」 景黎様が紙を取り上げようとした。 私は反射的に押さえた。「まだ見ます」「もう十分見ただろう」「まだです」「顔が青い」「いつもです」「いつも青いなら問題ないと思うな」 景黎様の声が硬い。 怒っているのではない。 焦っている。 青羅の紙は、景黎様にも刺さっている。 信頼。 私たちが一番信じている人。 その中に第三封がある。 景黎様は、疑われる側にも疑う側にも立つ人だ。 皇弟。 死んだと思われていた人。 外朝に担がれかけた人。 そして、今は私の台車の横にいつもいる人。「景黎様」「何

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十四話 第三封は、名を捨てさせる

    青羅が消えた。 その報せは、火より早く後宮を走った。 内侍省の書庫番。 十五歳。 女として生まれたが、男装して内侍見習いとして育てられていた子。 白家の子の帳では、未覚醒。 けれど、赤紐を扱える可能性がある。 死帳の第二封を開く予備鍵かもしれないと見られ、保護されたばかりだった。 その青羅が、医療房へ移される途中で姿を消した。 残された紙には、こうあった。『第三封は、もう開いています』『還名裁議に、白家の名を入れよ。入れなければ、白家の子は全員、自分で名を捨てる』 白家の名を入れよ。 名を捨てる。 どちらも、嫌な言葉だった。 私はその紙を膝の上に置いたまま、しばらく見つめていた。 白い紙。 整った字。 筆の払いに迷いがない。 でも、最後の「捨てる」の一画だけ、少し力が強い。 怒りか。 恐れか。 あるいは、泣くのをこらえた手の震えか。「鈴花」 景黎様が、私の顔を覗き込んだ。「考える顔をしている」「考えないと困ります」「倒れる顔でもある」「それは別です」「別にするな」 私は台車の上にいた。 はい、台車だ。 もう説明するのも悔しい。 朝から老医官様に「寝台から出るな」と言われたのに、青羅失踪で医療房へ移され、今は医療房の奥にある小さな控え部屋で台車ごと固定されている。 固定されている、という言い方は嫌だが、実際、車輪に布が噛ませてある。 逃亡

  • 皇后を殺したのは寵妃様です。下級宮女の私は犯人を知っていますが、姉を殺され、母に売られたので後宮ごと地獄に落とします   第六十三話 炭庫の底で、蓋は鳴る

    行けない。 そう分かっているのに、体は勝手に動こうとした。 寝台の端を掴む。 布団を押しのける。 足を下ろそうとする。 その瞬間、母の手が私の腕を掴んだ。「鈴花」 母の声は、ひどく静かだった。「行けないわ」「蘭々が」「分かっている」「白瑛も」「分かっている」「なら」「行っても、あなたは穴の中へ飛び込めない」 言葉が刺さった。 分かっている。 分かっていることを、母の口から言われると腹が立つ。 でも、母の手は震えていた。 私を止める手が。 自分の娘をまた失うのではないかと怯える手が。「母さん」「怒っていいわ。でも止める」「……」「あなたが行って倒れたら、蘭々さんも白瑛さんも助ける人が減る。あなたはここで考えなさい。いつもみたいに、嫌なところを見つけなさい」 母は、私の腕を放さなかった。「私を嫌っていてもいい。許さなくてもいい。でも今だけは、母親らしいことをさせて」 ずるい。 そういう言い方は、ずるい。 私は歯を食いしばった。 胸の奥が熱い。 怖い。 蘭々が落ちた。 白瑛が落ちた。 死帳の第二封が開いた。 それなのに私は、寝台の上で何もできない。「鈴花さん!」 駆け込んできた下女が、さらに続けた。「景黎様が炭庫へ向かわれました! 老医官様も、

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status